日本初の水力発電所、蹴上発電所が送電を開始した明治25年(1892)、朝陽堂印刷の前身である高橋朝陽堂が産声をあげました。文明開化の呼び声とともに、朝陽堂の歴史は始まったのです。
初代経営者の名は高橋貞次郎。貞次郎は日本に輸入されて間もない石版印刷を導入、最先端技術を扱う印刷業者の一人として、業界に華々しくデビューしました。
高橋朝陽堂は、布地印刷も手掛け、当時京都で一、二を争う木綿問屋とも深いつながりがあったことが、当時の記録から覗えます。
明治40年(1907)、工場の新築に伴って、貞次郎はさらに近代化を推し進め、最新の印刷機械を次々に整備。時代と技術の進歩に敏感な特質を遺憾なく発揮し、高橋朝陽堂の基盤を確固たるものにしていきました。