朝陽堂の前身である高橋朝陽堂が産声を上げたのは明治25年(1892)、蹴上に日本初の水力発電所ができた年のことでした。100年以上の歴史を持つ印刷会社の経営者の家に、私は生まれました。
いずれそこを継ぐであろうことはわかっていました。しかし、その前に広い世界を見ておきたい。そんな気持ちで、大学卒業後、大阪に本社のある企業に入社しました。
入社二年目で宣伝部に配属されました。しかも印刷担当です。それなら家業を継いでも同じではないかと言われそうですが、なかなかどうして。ここで得た経験は、広い世界に向かって私の目を大きく開かせてくれました。
規模の大きい会社ですから、宣伝にはあらゆるメディアを使います。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、そしてイベント。私も印刷だけでなく、すべてのメディアに接触する機会がありました。各地のイベントにもずいぶん出かけました。そして、それぞれのメディアがもつ長所をうまく組み合わせて、宣伝効果を上げることの重要性をここで学んだのです。
メディアミックス。広告代理店がその頃打ち出していた戦術を、家業の印刷にも生かせないか。後年私がそう考えるようになったのには、このサラリーマン時代の経験がずいぶん影響していると思います。
また、堅いと思われがちな会社でしたが、一旦企画が通れば、社員一人一人の裁量に任せてくれる自由な気風がありました。向こう傷は男の勲章。倒れるときには前を向いて倒れろ。先輩からそう叱咤激励されたことも、もともとあった私の前向き志向をさらに加速させてくれるものでした。

